全国から伝習性を募集し、新式の洋式織物の関係機械を使用して織物技術の教育を行い、業界の啓蒙につとめた。明治十年織殿と改称。京都府派遣留学生の佐倉常七と井上伊兵衛が明治六年に持ち帰ったジャカード機を研究、木製ジャカード機を作って明治十八年の五品共進会にメカニク織と称する試織品を出品。舎密局と共に京都の産業近代化に先鞭をつけた。