新島襄(にいじまじょう)
天保14年上州安中藩江戸屋敷生まれ。元治元年国禁を犯して函館からベルリン号で海外に脱出。慶応元年にボストンに到着、明治7年アンド−ヴァー神学学校を卒業し、キリスト教主義の学校設立を志して帰国。教師デイヴィスと共に京都での開校を決定し、京都府知事槙村正直、府顧問山本覚馬の賛同を得て明治8年寺町丸太町上ルに同志社英学校を開設した。当初生徒は8名だったが、翌明治9年相国寺門前に新校舎を建造し、熊本洋学校生徒が大挙入学して校勢は拡大。大学設立の志を起こして明治21年に「同志社大学設立之旨意」を起草。明治23年募金運動中に前橋で倒れ、静養先の神奈川県大磯の旅館で永眠。
写真提供/同志社施設部管財課



都の人列伝