Vol.3


『IDDM』の病名の実体化について




インシュリン依存型糖尿病


いんしゅりんいぞんがたとうにょうびょう



...どうも言葉の音の響きと連想されるイメージが良くないですよね。平たく言って「カッコ悪い」(苦笑)。

百歩譲って「いんしゅりんいぞんがた」はまだ我慢できるとしても、「とうにょうびょう」がいけない。例えその病気の実態を全く知らないとしても、すでにその病名だけでマイナスのイメージが付きまとっていると思いませんか。少なくとも私自身はそう感じています。

そうです。我々「インシュリン依存型糖尿病」に罹患した者は、この「病名」のために日々大変煩わしい思いをしているのです。日本では「『糖尿病』とは『食べ過ぎの人がなる成人病である』」との認識が広く行き渡っていますので、一般の人はどうしてもそれと関連づけて考えてしまいます(そもそも私自身からして、病院で「あなたは糖尿病です」と宣告されたとき、「何でこんなに痩せているのに糖尿病になるの?」と思ったぐらいですから)。日本人の糖尿病の中に占めるIDDMの割合が少ない(5%以下。2〜3%とも)ことも手伝って、日本における「インシュリン依存型糖尿病」の認知度は非常に低いのが現状です。いわゆる「糖尿病」=「非インシュリン依存型糖尿病」の図式が完璧に出来上がっているのです。

このように「糖尿病」であれば即「食べ過ぎ」や「美食」が原因だと解釈されてしまったり、あるいは表意文字である漢字の特徴が裏目に出て、その表記から泌尿器に関係のある病気ではないかと誤解されるなど、とにかく苦労のネタは付きません。また、「食べ過ぎ」や「美食」が原因だと短絡的に即断された結果、「自己管理能力がない人間である」と見られてしまう場合さえあると聞きます。

まあそれは少々うがち過ぎだとは思いますが、例えば私や皆さんさんが誰かに「私は糖尿病なんです」と打ち明けたとすると、ほぼ確実に「ええっ!?そんなに若いのに?」との反応が返ってきますよね。このことは皆さんも何度か経験されたことがあるかと思うのですが、恐らく99%以上の確率で当てはまるのではないでしょうか。熨斗付けて保証してもいいぐらいです(苦笑)。そこで心の中で「ああ、またか...」と思いながらも、「『糖尿病』には『インシュリン依存型糖尿病』と『非インシュリン依存型糖尿病』の2種類あってですね...」と懸命の説明を始める訳ですが、殆どの人にとっては「自分とは関係のないこと」ですから、そんなことどうでもいい訳です。殆ど聞く耳を持ってくれません。

  で、この「ああ、またか...」が曲者なのです。

我々が自分の病気のことを他人に説明するときには、単に病名を告げるだけではなく、II型とI型の違いを判り易く説明することによって、予断に基づく誤解を解かねばなりません。つまり、日本ではこの病気に対する知識が一般には殆ど行き渡っていないので、それを自分の力で正確に伝えねばならない。

  この事態は精神力の消耗と疲弊を招きます。

IDDMとはランゲルハンス島のβ細胞からインシュリンが分泌されなくなってしまう病気(多少個人差あり)ですが、そうなってしまった自分の運命を受け入れることには私はやぶさかではありません。しかし、いくら本人に病気を受け入れる覚悟ができたとしても、その病名のために周囲から誤解を受けるのではたまりません。単に病態を説明するだけで済むならいいんですが、病名を告げた時点でほぼ確実に誤解を受けるので、常にその対応に追われてしまうのです。この病気になったことだけでも十分不条理なのに、その上さらに名乗りたくもない病名を押し付けられては気が萎えてしまっても仕方ないでしょう。私は他人に自分のことを判ってもらう努力は厭わないつもりですが、他にもやるべきことが山のようにある訳ですから、そこで必要な努力は少しでも少ない方がいいとも思っています。とにかくその病名のためだけにやたら誤解を受けてしまう現在の状況だけは何とかして欲しい

  で、ここで思う訳です。「この病名が変わったらな」、と。

ご存じかも知れませんが、IDDMは古代エジプト時代からその存在が知られている非常に由緒ある(?)病気です。また、欧米ではインシュリンが発見されて以後、また日本でも戦後には、多くの医師やスタッフ、そして患者自身の地道な努力によって少しづつ、しかし着実にIDDMの地位向上が図られてきた訳で、その病名には歴史的経緯が深く刻まれています。ですから、おいそれと病名を変える訳にはいかないことは承知しています。しかし、それでもなお、上記のような理由から、私は「インシュリン依存型糖尿病」の病名を変えた方がよいと考えています。取り敢えず「糖尿病」の文字をなくすだけでもかなり印象が変わってきますから、他人から誤解を受ける可能性が確実に減ることが期待されます。例えば、

 「インシュリン欠損症」

になったとしましょう。これなら一般人には何のことだかよく判らないので、殆ど偏見を持たれずに済みますね(笑)。あるいは

 「インシュリン分泌不全症候群」

おお、これならさっぱり判らない。さらにグッド(笑)。

しかし、もし病名が変えられるとして、そこで私が最も期待する効果は、今現在我々「インシュリン依存型糖尿病の患者」自身が自分の病気に対して多かれ少なかれ抱いている「後ろめたさ」が激減すると予想されることです。自分が「ランゲルハンス島のβ細胞からインシュリンが分泌されなくなってしまう病気」になったとき、他の人に対して「私はインシュリン依存型糖尿病です」と説明するのと、「私はインシュリン分泌不全症候群です」と説明するのでは、病名から受けるイメージが全く違ってきます。前者だとマイナスのイメージを受けますが、後者だとそこから喚起されるイメージはかなりニュートラルになります。単に病名を変えるだけで、他人に病気を説明するときの「ああ、またか...」の苦い思いをしなくて済む訳ですから、その効果は絶大です。「私は『糖尿病』だから...」と、病名のためだけに殻に閉じ篭もってしまう人がいるとしたらそれは大変残念なことですが、病名が変わるだけでその人の病気に対する姿勢が前向きになったり、さらには病名の変更に伴って病気に対する社会的認識が変わることによってその社会的地位が向上するようであれば、思い切って病名を変えた方がいいと思うのです。尤も、例の薬害エイズ訴訟の報道などを見ていると、「あの」厚生省がある特定の病気の患者の地位向上のためだけにその病名を変えてくれるとも思えませんし、これが実現される可能性は太陽が西から昇る確率よりも少し高いぐらいでしょう(笑)。ただ、そのような機会があれば今後も然るべき対象・機関に対して、この病名を変更してもらうよう働きかけを継続していくつもりです。

              *

...とまあそんなことをつらつらと考えている訳ですが、IDDMになった人で「私は『とうにょうびょう』なんかじゃないっ!」と、その「病名」に囚われている人の何と多いことか。ある病気の単なる「ラベル」に過ぎないものに呪縛されるなんて実に馬鹿げたことです。数字には出てきませんが、それはかなりの数にのぼると思われます。

その一方でこうした考え方とは全く逆に、「病気に対する自分自身の考え方さえしっかりしていれば何も問題はない」と主張する人もいると思います。確かにそれも一理あるでしょう。しかし、それは自分の内面での話であって、自分を理解してもらおうとする努力とは無関係に、絶え間なく堆積し沈着していく他人からの誤解には恐るべき威力があります。この力をナメてはいけません。

このように二重に閉塞した状況を個人の力で打破するには限界があるので、それを一気に突き崩すための一番容易で努力が少なくて済む方法として病名の変更を私は考えているのです。

例えこの「インシュリン依存型糖尿病」の病名の変更は無理としても、皆さんもこの名前は常に相対化できるよう理論武装しておかれた方が何かと便利ですよ。「事実」は絶対的なものではなくて、「視点」が構成する相対的なものです。病気になった事実は変えられなくても、病名は人間が決めたことですからいくらでも変えられます。そのことをうまく利用して、不当な不利益を被らないよう、そして順当な利益を得るように工夫してみて下さい。きっとまた世界が変わりますから。

これに対する意見や感想、または反論などありましたら是非お聞かせ下さい:-)。

文責:能勢 謙介 





 
Vol.3 No.2
 
  再び病名について
  11 Feb 1997


 トップページ  / IDDM コラム / Vol.3