Vol.3 No.2


03 Mar 1997


再び病名について




近、「糖尿病」の名称変更についての話題をよく耳にします。

特によく聞くのが「高血糖症」です。これ悪くないですね。前回のコラム「『IDDM』の病名の実体化について」では、「インシュリン欠損症」あるいは「インシュリン分泌不全症候群」などを、現在の名称の代替案として提唱しておきましたが、この「高血糖症」の方がより病態を正しく表していますし、私が執拗に拘る「語感」についてもそれほど悪くはありません。

NIFTY-Serveの保健所フォーラム(FHC)でも、「高血糖症」への名称変更についての話題は何度となく採り挙げられていますし、審査の厳しいことで有名なレセプト(診療報酬請求)でもこの「高血糖症」が通るそうですので、徐々にではありますが社会的にも認知されるようになってきていると思います。

そこで筆者の独断と偏見に基づいて、今後IDDM-Networkのホームページ上では“Diabetes Mellitus”の日本語病名には必ずカッコ付きで「糖尿病(高血糖症)」の表記を用いることとします。「IDDM自体がまだ社会的に十分認知されていないのに更なる混乱を招く!」あるいは「自分自身の現実を受け止めようとせずごまかそうとしているんじゃないの?」と思われる方もいるかも知れません。しかし、私はそれらの批判を受けることを覚悟で敢えてこの名称を使います。

本来、病気の名前は患者の都合や好き嫌いだけで勝手に変えたりはできませんし、これまで周囲の冷たい視線を浴びながらも歯を食いしばって「糖尿病」の看板を背負って来られた方がいることも十分承知しています。しかし、世の中そんな強靭な精神を持った人間ばかりではない。弱い人間だってたくさんいる。ですから、Vol.3にも書いた通り、単に「病名が変わるだけでその人の病気に対する姿勢が前向きになったり、さらには病名の変更に伴って病気に対する社会的認識が変わり、それによってその社会的地位が向上するようであれば」躊躇なく変更すべきなのです。私は基本的に「手を抜くためにはどんな努力も惜しまない」(笑)タイプなので、病名が変わるだけで説明の手間が省け、しかも周囲の理解も得易くなるなら、もう諸手を挙げて大賛成です。

幸いにも追い風があります。「さかえ」の97年3月号に国立京都病院の大石まり子先生の記事によりますと、1994年度の国民医療費の中で糖尿病(高血糖症)は実にその4.1%、額にして8739億円(!)も費やしているのです(その中でIDDMが何割を占めるかについては言及されてはいませんが)。実に一兆円弱もの医療費が懸かっている正に「国民病」状態になっている訳ですが、これを「あの」厚生省が黙って見過ごすはずがありません(^^;)。できるだけ糖尿病(高血糖症)に懸かる医療費を減らそうと、何らかの対策を打ってくるに違いない。

思うに、通常NIDDMになった人が「あなたは糖尿病です」と宣告された場合、その殆どが病態を正しく理解できていないと思うのです。何しろ病名が「糖尿病」ですから、その文字から素直に判断すれば「尿に糖が下りる病気か...」となる(苦笑)。いや、笑い事ではない。私だって最初はそう思ってましたから。そして、以前からしつこく主張しているように「糖尿病」は語感が悪いですから、この病気であることを宣言された人はその九割以上が否定的な感情を抱くでしょう。その結果、早めに対応しておけば合併症にならなくて済むような人でも、病院に行くことをためらってしまい、結局は重度の合併症を起こして初めて慌てて病院に走る。これが現状です。

ここで「高血糖症」の登場です。もし病名が「高血糖症」なら、その文字だけから判断しても「血液の糖分が高くなっているんだから、それを下げなきゃいけないんだな」と、病名だけからただちに「今現在の身体の状態」と「取るべき対処方法の指針」が直観的に理解されると思うのです。語感もほぼニュートラルに近いですから、後ろめたさもそれ程感じないでしょうし。こうすれば、病院に行くこともそれほど迷わなくて済むようになるのではないでしょうか。その結果、早期対策が可能となり、合併症に移行する人も減少、医療費も下がる。IDDMもこの病名変更(「インシュリン依存型高血糖症」(?))の影響で、誤解を受けることが少なくなり、より社会からの理解を得やすくなる......とするのが、私の予測なのですが、楽観的に過ぎるでしょうか。

また、「自分自身の現実を受け止めようとしていないのでは」との疑念に対しては、「それは個人による問題である」と答えておきます。IDDMの場合、毎日注射をしなければ生きていけない訳ですから、それすらイヤだと主張する方に対しては、「どうぞアナタのお好きなように」としか返せません。勝手に死んでください。まあそこまでひどくはなくても、自分がIDDMであることを否定して生きていれば、それは必ず悪い結果となって返ってきます。別に統計取った訳ではありませんが、これについては自信を持って断言できます。絶対にコントロールを乱してしまう。

ただ、エヴァのシンジ君ではありませんが、人間が不条理を乗り越える力には明らかに個人差があります。病名の変更が自分の病気をごまかすためにしか作用しないとすれば悲しいことですが、私にそれを責めることはできません。「糖尿病」が「高血糖症」に変わっても、IDDMの人が乗り越えねばならないハードルが完全に無くなる訳ではありません。注射して血糖をコントロールしなくてはいけないのはこれまでと全く同じですから、ハードルが少し低くなるだけに過ぎないなのです。しかし、たったそれだけでもIDDMにとっては大きな進歩であると私は考えます。




私は、汗水たらして得られる結果と、言葉を変えるだけで得られる結果が同じなら、迷うことなく後者を採ります。



あなたは、どちらを、採りますか?




文責:能勢 謙介 



 トップページ  / IDDM コラム / Vol.3 No.2