小川治兵衛(おがわじへえ)
乙訓郡神足村に生まれる。明治10年造園を業とする「植治」こと小川家の養子となり、明治12年父の急逝に伴って、七代目小川治兵衛を襲名。江戸後期の作庭書などから伝統的な作庭を独学。法然院や久原庄三郎邸などに出入りするようになり、久原から山県有朋を紹介されて山県の別荘無鄰菴の庭園を作庭。山県に才能を開かれた後も、稲畑勝太郎、薩摩治兵衛ら政財界人の別荘の庭を数多く手掛け、明治20年に開通した疎水の豊富な水を十分に使い、東山の景観を利用して自然の風景の再生を意図した雄大な風景を展開、小川流と言われる独創的な庭を作り上げ、近代庭園の先駆者となる。平安神宮神苑や円山公園、京都帝室博物館(京都国立博物館)庭園も彼の作庭である。





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