野々村仁清

京都に本格的な「やきもの」の生産地と認識されるようになったのは、桃山時代末(16世紀末)になってから。野々村清右衛門は、丹波国北桑田郡野々村(現在の京都府美山町)から京都粟田口に出て陶法を修業し、のち仁和寺前に窯を開き、茶陶等をつくった。色絵の意匠にも卓越した才能を発揮、京焼色絵陶器の完成者とされる。 仁和寺の「仁」と清右衛門の「清」で「仁清」の印銘を使用。この「仁清」の印銘によって仁清工房のブランド化を図り、京都の王朝的な瀟洒でしゃれた造形感覚の作風を世に提供していった。


代表作:「藤花図茶壺」(国宝)、「雉子香炉」(国宝)など



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