京都産業のさきがけ



市中女工場
明治期、京都府の勧業政策の一環として婦女子に技術を持たせる目的で設置された女子教育機関。明治6年上京三十区に初めて開場、続いて上京二十九区に開場され、明治10年代には各小学校区に次々と開場された。生徒は区内に住む小学校へ上がっていない女子を主としたが、主婦の入場を認めるところもあった。物産繁殖の一端を開くことが目的であったことから教育内容は日常生活や生産と結びついた和裁、洋裁、養蚕、紡織などが中心で、生徒の製作した作品が京都博覧会や外国博覧会にも出品された。明治20年以降は裁縫専修科に引き継がれた。ちなみに群部の小学校に付設された女工場は、群中女工場と呼ばれた。





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