京都産業のさきがけ



横田商会
明治期の映画興業会社。京都での映画産業発展の基礎となる。

元貿易商でのちに映画興行会社となる。フランスからシネマトグラフを持ち帰った稲畑勝太郎の興行を手伝っていた横田永之助が、明治33年パリの万国博覧会に派遣されたのを機にパテー社からのフイルム購入を契約、新しい映写機を持ち帰り、自ら映写技師を務め上映した。明治37年日露戦争が勃発してからは戦争映画を上映。この頃「ナポレオン一代記」などの劇的内容を持った活動写真が次々と到来したことから事業がにわかに活気づき、巡業班を増やして全国を巡回、横田自身も軍服姿で説明者を務めた。明治41年には映画製作を開始。「本能時合戦」より牧野省三が製作にかかわり、時代劇映画で成功した。明治45年には日本活動写真株式会社発足の有力な組織単位となり、横田永之助が日活社長を務めた。






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