田村宗立(たむらそうりゅう)
船井郡園部町近在生まれ。3歳ではじめて絵筆を持つ。安政2年東山の大雅堂清亮の塾に入門して南画を学ぶが、文九年間に立体感を生む陰影描写に興味を持ってからは洋画に近づき、明治4年粟田口療病院の通訳兼画家として雇われた時に、ドイツ人医師ランケックから油絵の手ほどきを受けたのがきっかけとなって、油絵の道に進む。明治5年横浜に住む絵入りロンドン・ニュース社の画報通信員ワーグマンの画塾を訪ね、明治14年から京都府画学校の教員を務める。内国勧業博や京都博覧会に度々出品、退任後の明治22年祇園下河原に私塾明治画学館を設立。明治34年関西美術会を発会、明治38年には関西美術院創設の設立発起人となり、開院後は関西美術院で指導にあたるなど京都洋画壇の発展に貢献した。また月樵と称して日本画にも親しんだ。



都の人列伝