島津源蔵(しまづげんぞう)
仏具三具足製造業の清兵衛の次男として生まれる。舎密局で理科学の知識を深め、明治8年島津製作所を創業、教育用理科学器械の製造を始める。明治10年には京都府の命を受けて仙洞御所で人を乗せた軽気球の飛揚に成功、観衆の拍手喝采を浴びた。明治15年「理化器械目録表」を刊行、これは現存する国産理化学器械カタログの中では最も古く、約110種類の理化器械が記載されている。初代源蔵の長男梅治郎(二代目島津源蔵)も初代の精神を引き継いで実験、研究を重ね、明治17年16歳の時に日本で初めてウィムシャースト感応起電機を完成、明治28年蓄電池極板の試作に成功、レントゲンがX線を発見した翌年の明治29年にはX線写真の撮影に成功した。医療用X線装置の完成や蓄電池の製造など次々と新しい技術・製造を開発、昭和5年には日本十大発明家の一人として表彰された。
写真提供/島津創業記念資料館



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