西田幾多郎(にしだきたろう)
石川県生まれ。明治43年から昭和3年まで京都帝国大学に在職、多くの門下生を育成し、“京都学派”を形成した。明治44年の著作「善の研究」で「純粋経験」説を述べ、主意主義の立場に立った。ベルグソンの直観主義と新カント派の論理主義の統一を企て、昭和2年「働くものから見るものへ」によって西田哲学を樹立、西洋哲学と東洋哲学をまじえた独創的な日本哲学を展開した。仏教的な無の思想を西洋的立場で考察した立場は今日でも独自のもの。左京区の哲学の道は西田が好んでよく散策したことから名づけられた。



都の人列伝