中村喜一郎(なかむらきいちろう)
明治6年応用化学のためドイツに留学。同じ年に開催されたウイーン万国博を機に染色伝授生となり、シュツットガルトのアニリン染料工場その他で一年間洋式染法を研究し、数十種の人造染料やその染色に必要な薬を携えて帰国。明治8年農商務省技師、京都府舎密局染殿教授として招かれ、日本で初めて化学染料のアニリン染料による洋式染法を指導。京染や西陣織の糸染の改良に貢献した。舎密局の廃止によって明治16年東京へ移り、明治20年八王子織物染色講習所の教授、明治28年八王子織染学校と改称されると校長となった。



都の人列伝