内貴清兵衛(ないきせいべえ)
初代京都市長を務めた内貴甚三郎の長男として生まれる。生家は関東織物京染呉服問屋銭清で、法政大学卒業後家業をつぐ。ただし清兵衛自身は大綱を握るにとどめ、弟に家業を任せた。土地の将来性に目をつけ、洛北や城南に広大な田畑宅地を手に入れた。大正8年市野瀬潜と共に医薬品及び食品の製造販売会社日本新薬株式会社を創設。島津製作所、日本電池、京都織物など京都の企業の役員を務めた。



都の人列伝