三井高利 (みついたかとし)(1622〜1694)
三越とさくら(三井)銀行の祖
三井越後屋(明治維新以後、三越、三井銀行(現在のさくら銀行))の祖。 江戸時代を生き抜いた豪商 江戸時代の商人は、武士や大名の家に多くの反物を持っていき、お盆と暮れの二回だけ清算をしてもらっていた。当然リスクが大きい分価格の上乗せも大きかった。しかし、三井高利は、現金でどんな端切れでも適正値段で売るという、新しい商法を生み出した。
- 江戸時代、最大の商品は呉服(絹織物・着物)である -
もともと伊勢国松坂に生まれ、14歳で江戸に下り、兄の店で修業。のち独立して、京都で越後屋呉服店の仕入店を開業。さらに京都・江戸・大坂に両替店(金融業)を開き、京都を事業本部とした。呉服の「現金掛け値なし」の廉価販売で急成長を遂げ、幕府の金銀御為替御用達となる。
彼は商売に対する独特のポリシーがあった。すなわち、一時的に暴利を貪ったり、大儲けをしてのれんを降ろして商売を止めてしまうのではなく、適正な利潤はもらうが、決して暴利をとったり、一時的に人の弱みにつけ込んで儲けるようなことはしなかった。そして、家業がいつまでも続くようにと考えた。企業の永続性・持続性ということを非常に大切にした。そのため三井越後屋は15・16代続き、現在の三越やさくら銀行へと受け継がれていった。

写真提供:淡交社・京都大事典


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