浜岡光哲(はまおかこうてつ)
明治の実業家。明治12年商報会社を設立して「京都商事迅報」を刊行、続いて明治14年に「京都新報」を発刊し、京都政財界の中心的存在となる。「京都新報」は論説を掲げるなど京都初の本格的政論新聞だったが、「京都滋賀新報」、「中外新報」と改題を重ね、弾圧を受けた場合の身替わりとして創刊した「日出新聞」の人気上昇に伴って廃刊。「日出新聞」では全国20数ケ所に通信員を委嘱して通信網の拡張につとめた。一方、京都織物会社、京都商工銀行、関西鉄道など諸会社の設立に関与、役員をつとめ、明治18年には京都商工会議所の会長に就任。府会議員、市会議員、衆議院議員も歴任した。


都の人列伝