古河太四郎 (ふるかわたしろう)(1845〜1902)
我が国盲聾教育の始祖。弘化2年上京の寺子屋白景堂に生まれる。聾児の惨状を見て盲聾教育を発起する。明治6年待賢小学校教師となり、校内にいん唖教場を開いて熱心に教育した。その成功によって京都府知事槇村正直を動かし、明治11年東洞院御池上ルに日本最初の盲唖院設立を実現、初代院長となる。明治13年には京都小御所に仮盲唖教場を設け、教授の状況を明治天皇の天覧に供し、金千円を下賜させた。盲児の歩行訓練のための直行練習場や肺活量の少ない聾児のための体育と言語指導を兼ねた遊戯物である単語図合を考案、明治33年には市立大阪盲唖学校校長となって盲唖両生の区別教授法を企画するなど独自の教育方法を開発した。


都の人列伝