『震災とエコロジー』

  

 震災(災害)とエコロジー(自然形態の保全と現実のありかた、および環境保全の方策に関して)の関係を、現実面と第三者の関係を連係して考察する。大都市を襲った震災の中で、分科会リーダーの体験した実際と、それを枠外で認知した参加者のなかでどのように感じ、どのように実践し、しかもその体現する部分が、エコロジカルとどのようにリンクするか、を考える時、本当の意味でエコロジカルの立場が理解できるのではないだろうか。エコロジカルな考え方というのは、通常の社会では、しっかりとした立場に立脚して考え、行動することができるとしても、非常事態に対して、はたしてどこまで現実的に理解し、行動できるであろうか。むしろ、非常事態でこそ、自然との対話、自然との関係がはっきりと具現化するのではないか、と思われる。震災における被害のほとんどが、自然によるものではなく、人災と言われるように、「自然の人類に対するしっぺ返し」ととらえることによって、初めてはっきりと捕らえられるのではないか、と思われる。自然と人間との共存を忘れた時、人間の奢りに対して、自然ははっきりとした解答を与える。具体的に言えば、今回の地震による被害は、人間の奢りによって自然を勝手に変えてきたところに、顕著に現われた。神戸市に限って言えば、自然の経路としてあった、生田川を人工のそれに変更した場所、 昔の生田川沿いに大きな被害と人員の死亡が顕著であった事実を忘れてはならない。自然との共存を考えずに、自然を見くびった結果が、今回の悲劇をまねいた、と言っても過言ではない。我々が、単にエコロジーと言った視点で考えていることが、現実面で5000有余人という死者を生んだのではないだろうか。「山、海へ移動する」といった人間の奢りが、いかに高い代償になったか、今一度考えてみる必要がある、と考える次第である。
 今回の天然デザインフォーラムでは、今少し、突っ込んだ討議はなされなかったが、参加者の意識、とみるより、日本全体の社会考証と見るほうが正解に近い、と考える。現実として、未だに生活の目処が立たない人が、何十万人もいる事実が、政府も中央も意識することもない。これが、経済大国といい、先進国と自他ともに認めている国家のあるべき姿か、と思わざるをえない。閑話休題。分科会では、現実の災害という立場にあるとき、それはどういった立場で、どういった行動で、どういった状況で対処し、どういったキーワードでそれを括ることができるか、を話し合った。実際にそれを体験しておられない参加者だったが、それだけに「対岸の火事、が対岸からでなくてはサジェストできない立場」としての意見を聞くことができた。分科会では、それをBW法の手段でもって具現化し、そのキーワードでもって、我々の解答とし、今後の「自然と災害」に対する考え方の手段としたい。別紙にまとめたものは、それをKJ法によって、ブロック化したものであるが、その中から何を感じ、何を捕らえるか、はこれを読んだ人の考え方にゆだねる事とする。 実際の現場にいなければわからないこと、実際の現場におれば決して理解できないこと、があると思う。しかし、それがあいまってでなければ判断できないのが事実ではなかろうか。
 いま、自然と災害の関係を考える時、私たちが忘れてはならないことは、人間の奢りだと思うものであるが、喉元過ぎれば、と言った思いが、あちこちに見られる現実を見た時に、それがいかに恐ろしいものであるか、あらためて感じる次第である。まさに、災害は自然と人間の関係をかくも露呈するものであるか、という事を。願わくは、今回の震災による悲劇を、絶対に繰り返してはならないし、良き教訓として生かして欲しいと恩うばかりである。それこそが、我々天然デザインを表する者達に与えられた課題である、と思うのは、単に分科会のリーダーだった者が思っているだけではない、と思う次第である第である。

リーダー: 藤田 喬彦 / 藤田デザインオフィス


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