私は、京都は太秦にて京友染の染色家で伝統工芸師である父と
その師匠の娘である母の間に長女として生まれました
念願の女の子だったもんでそりゃあもうすごいかわいがりようで(自分で言うな)
あまやかされて育ったもんだから今だにひとりじゃなあんにもできない
だめ人間なのです、、、
幼稚園時代は毎日泣いて過ごし、小学校低学年もっやっぱり泣いて過ごし
入学してもう何日もたっているのにもかかわらず母に迎えにきてもらってたんだけれど
ある日のこと母が校門にいないではないか、 これは大変
「ママがやあらへんー」と道端で泣いている私はたちまちとりかこまれ
上級生にランドセルをあけられて身元確認され、あわてて父のお弟子さんが迎えに
きてくれたという恥ずかしいエピソードは有名になりまったく知らない子にまで
「あっ、やまもとあつこやー。こいつひとりでかえれよらへんねんでー。」
とフルネームで指をさされる日々、、、、、
ま、そんな私もだんだん活発になり、人前でピンクレデイーを踊るなど
好奇心も旺盛になり、ピアノ、英会話、お習字、などなどいろんなものにチャレンジ
しました。
中学では華やかさに憧れ、バトントワリング部にはいり辛いしごきもあったけど
楽しい3年間を
過ごしました。
そのころからジャニーズにのめりこみ絶対スクールメイツにはいって
マッチのうしろで踊ってやるという野心を燃やしていたものです。
高校はその当時めずらしかったミニスカートの平安女学院へ行きたいという気持ちが
ふくらんで、親にたのんで行かせてもらいました。
そのころは、幼稚園の先生になりたくてもちろん短大も平女へ行くつもりだったのですが、、、誤算でしたわ、、、
お気楽に遊んでばかりいたため特別推薦などしてもらえるわけもなく
受かったのは滋賀女だけ、、、
でもこれがまた楽しい学生生活、念願の幼児教育科、好きな授業ばっかでほんと
楽しかったなあ、、、しみじみ、、、
デイスコやカラオケにはまり、ダンスパーテイー、合コン、
中でも一番思いで深いのは、バンド活動してたこと
学園祭が一番大きいイベントだったけど、あー青春って感じでした。
さてさて、いよいよ社会に出るわけですが、なにしろ甘えんぼうの私は
努力、忍耐、持久力というものはまったく持ちあわせず
幼稚園実習の辛さに耐えきれず、呉服やさんに就職しました。
その時の友達とはほんとよく飲みに行ってたなあ、、、(飲めへんねんけど)
でももともと働くことが嫌いな怠け者の私、土日が休みでないという理由で辞めてしまい
あとはもうぶらぶらと、アルバイトをしたり、家事手伝いとしょうして親のすねかじり
そんなこんなの独身生活も25歳の6月をもって終了。
今では平凡な主婦、一児の母であります。
えっ、だんなとの出会い?まあまあいいじゃないのそんなこと。
今、現在の趣味
ピアノ、パン作り、お菓子作り、ガーデニング、パッチワーク、編物
好きなものは
キテイちゃん、SMAP、チョコレート、生きてるねこ
友達増やすの大好きだから、メールちょうだい