サンコバ周辺の史跡ご案内       



 (三条小橋東詰め北側)

佐久間象山・
   大村益次郎遭難の碑

 佐久間象山(さくましょうざん 1811〜1864)信州松代藩の出身。儒学や朱子学を修め、次いで西洋の砲術や蘭学を学んで、西洋式の大砲を鋳造するなど西洋科学の導入で殖産興国をすすめました。彼の塾からは、勝海舟・吉田松陰・坂本龍馬らを輩出。元治元年に上洛し、開国と公武合体を説きましたが、同年7月11日にここで攘夷派の刺客に斬殺されました。
大村益次郎(おおむらますじろう 1824〜1869)長州藩出身で旧名は村田蔵六。シーボルトや緒方洪庵に蘭学と医学を学び、26歳で適塾の塾頭になるほど優秀だったので、幕府に招かれ兵学の翻訳研究家および蘭学の教授になりました。長州藩の兵制改革で功績をあげて新政府に入り、戌辰戦争の作戦を指導して兵部大輔に就任し、近代兵制樹立に尽力。しかし廃刀論で士族の反感を買い、同年、大阪来訪の際に投宿先の三条木屋町にて反対派士族に襲われ、敗血症で亡くなりました。



  (三条河原町東へ
    50メートル北側)

池田屋騒動の跡

 元治元(1864)年のこと、尊王攘夷派の志士たちが京に入り、蜂起の相談でたびたび旅館・池田屋に集っていました。それを新撰組が察知し6月5日未明に志士の古高俊太郎を捕らえ松平容保暗殺計画を聞き出したのです。同夜、約30名の志士は池田屋に集まり、古高を奪還する策を練っていたのですが…。午後10時、新撰組約50名がいきなり斬り込み、池田屋は血に染まって志士は完敗。しかし、これを機に「蛤御門の変」が勃発しました。




 (三条大橋西詰め南側)

弥次さん喜多さん像

「ふれあいの弥次さん喜多さん。
旅は道づれ世は情け 道中安全願いつつ ふれて楽しい旅のはじまり。」
三条大橋は東海道の西の起点。江戸からは124 里半、五十三次の長旅の終点です。十返舎一九の滑稽本「東海道中膝栗毛」にも描かれ、弥次郎兵衛と喜多八が江戸から伊勢へ詣り、大阪へ行く前に三条大橋に近い宿に泊まって、ハシゴを買わされる話になっています。それにちなみ“サンコバ”はブロンズの弥次喜多像を建立。二科会の会員・評議員である彫刻家、小山由寿氏の作によるこの像は楽しい表情で誰からも親しまれ、新しいシンボルとして注目されています。


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