京都産業のさきがけ



染  殿
明治8年京都府が西洋の染色技術の教育、研究を目的に設けた機関。

京都の染色は奈良末期から平安初期に始まると言われ、友禅染に代表される京染は高い評価を得てきた。明治に入ると合成染料の輸入が始まり、色の鮮明さと低価格で喜ばれた。しかし技術が未熟で、科学的知識にも乏しかったために退色や色落ちが見られ、京染の品質を落とす結果となった。そこで京都府は舎密局の付属機関として染殿を設置、ドイツで染色技術を学んだ中村喜一郎を教師に迎えて技術指導と実験に当たらせた。明治14年に舎密局が廃止された後は織殿に事業が移管された。






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