1999 DECEMBER
NO.290
KYOTO MEDIA STATION

特集

2000年−世紀の変わり目の年に思う

(財)京都産業情報センター 理事
京都学園大学 経済学部長 教授   波多野 進
はじめに
 2000年を迎える。そのこと自体は時の流れ行くひとこまでしかないが、今回、2000年から2001年にかけては、世の中で何かと話題になっている。イベント産業や旅行業界その他のビジネス界ではまざまな策を練っているらしいし、インターネットにはおびただしい2000年関連ページが開かれている。21世紀は2000年からか、2001年からかとという「大論争」もあるのだそうだ。コンピュータ業界では、深刻な2000年問題が日増しに緊迫の度を高めている。どうやら、この年の変わり目には、少しの間、交通も通信も途絶え、世界中が息をひそめてしんと静まりかえりそうである。これはこれで、たいそうわくわくする話かもしれない。特定の時があらかじめわかっていて、そのときに何がおこるかを待つという経験はそうあるものではない。その意味で、これは社会現象観察のチャンスである。しかし、今は少し禁欲して、ふつうの年末・年始という散文的な話にたちかえろう。

1.日本経済の現況

<循環と構造>
わが国はこの10年、不況に苦しんできた。これまでの不況対策は有効性をもたず、構造対策が必要だという論者もいるが、果たしてどうなのだろう。いわゆる構造変化というものがあるとしても、それは多くの人の意思決定が行動に移され、その結果として社会全体に生ずるものであって、意図して起こしたり起こさなかったりできるものではないのではないだろうか。構造対策と循環対策という二種類の方策があって、そのどちらをとるべきかという問題ではないように思う。

<失敗の連鎖>
この10年、いや、その少し前から、多くの失敗が繰り返された。企業が失敗した。銀行は間違った。政府が誤りを犯した。アメリカもアジア諸国もそうだった。
政府は安易に低金利を維持した。企業は(人は)愚かにもそれに積極的に乗って、バブルを招いた。銀行はそうした行為をそそのかし、その結果については隠蔽・違法行為におよんだのである。
バブル後にのこされた不良債権についての情報が公開されなかったために、研究者も間違った。昨年の経済白書に掲げられた一枚のグラフは、不良債権総額がおよそ150兆円にのぼっていたことを示している。
日本経済は今でも30%程度オーバーバンキングだという分析がある。当時はさらに多くの金融機関が退場を迫られていたのに改革が遅れた。その結果が巨額の国費の逐次投入という愚行といわゆる貸し渋りである。
長引く不良債権対策と不況対策、税収低迷が財政構造をゆがめた。この経験が逆に作用し、1997年にいたって、今度は消費税増税と財政再建方策の実施で、景気の腰を折った。
時をほぼ同じくして、アメリカ=IMFの手によるアジア経済への干渉がアジア新興工業国経済の崩壊を招いた。これが日本経済とってはさらに痛手であった。こうした不幸の重なりがこの10年間の不況をもたらしたのである。

<日本経済の強さ>
とはいえ、重なる対応策の失敗にもかかわらず、日本経済の基本的な強靭さはいまだ失われてはいない。国内に蓄積されている個人貯蓄は大量に流出するという事態を招いてはいないし、日本人の勤労意欲・自助努力は決して衰えていない。わが国の技術開発がその創造性を失ってはいないわけでもない。さらに、資源、とくに石油と食料の国際市場にさしあたり大きな不安がない。
そうであれば、日本経済の強さの発揮を妨げる条件は、もっぱらわれわれ自身の戦略と経済社会システム自体ということになる。
おそらく、1999年秋口から、景気回復の足どりが明確になってきた。金融機関はやっと不良債権処理を一段落させ、消費は対前年比で増加しはじめた模様である。企業のリストラに端を発する雇用不安は今後さらに広がる可能性があるが、その結果は全体として人材の流動化、日本経済の構造変化をもたらすことになろう。2000年においてはこのような経済の基本動向を継続し、景気回復を加速する制度改革が急がれるところである。

図1 開廃業率の推移(非一次産業、年平均)

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