1998 DECEMBER
NO.278
KYOTO MEDIA STATION

記念講演
インターネット−−その方向と未来

慶應義塾大学 環境情報学部教授 
村井 純 先生

財団法人京都産業情報センター設立20周年、まことにおめでとうございます。インターネットはグローバル社会の1つのプロトタイプ、情報の流通基盤といわれていますが、我々の生活に良いところをもたらしてくれる半面、さまざまな課題が山積みしていることも事実です。今日、インターネットの世界は産業界、行政、あるいは教育などすべての分野に及んでいて、我々技術者だけで構築していくものではありません。また、インターネットは「自律・分散・協調の世界」ともいわれています。それぞれの立場から使命感をもって対応していかなければ、問題は解決いたしません。そこで、インターネットのもつ意味と現状をお話しして、起こっている問題は何かをご理解いただき、皆様と一緒にそれを解いていくきっかけになればと思います。

◎日本は“後進国”なのか

インターネットは皆が自律的に、いわば勝手に動いているものがつながって1つの世界をつくっています。ですから現在、世界にユーザーがどのくらいいるかという正確な数字はつかめませんが、さまざまな手法ではじき出されたデータによると、米国で3人に1人、日本は1,000万人を超えたということで大体10人に1人、世界では60人に1人と推測されています。日本に10人に1人というのは、皆さんも周囲を眺めてそんな実感をお持ちではないかと思います。
ただ、この数字の恐ろしい点は、インターネットが一般に使われ始めてからほんの4〜5年しかたっていないということです。そして、その先を見通すと、やがてほとんどの人が利用するだろうと予測され、その上に立ってEC(電子商取引)が考えられ、さらに経済の問題、あるいは犯罪の問題が取りざたされているのです。いま、警察庁と郵政省では不正アクセスに関する新しい法律を検討していますが、その法案の中身はだれもが自由に見て意見を述べることができるようにインターネットで流しています。このように、これからの社会の機能はデジタルテクノロジーをどう使い、どう生かしていくかが前提になってくるわけです。
また、利用している国は244カ国、ほぼ全世界に及んでいます。研究開発については、これはインターネットの標準化に関する文書の数を調べてみると、日本は世界3位です。しかも日本の場合はこのところものすごい勢いで伸びています。
ところが、マスコミ関係者からしばしば「日本はなぜインターネット後進国になったのか」と聞かれ、最初は日本の技術者はこれだけ頑張っているのに大変不思議に思いました。やがて、それは多分、インターネットの分野に関連する企業の業績が必ずしもよくない、またマーケットとしてまとまった広がりがないからだ、と気づくようになりました。
つまり、インターネットをどのように利用して、そして次の世代にどうつないでいくのかということです。現状をみると、教育の分野でインターネットが自由に使える環境が整っているとはいえませんし、役所や銀行の窓口も実際に稼働しているのは勤務時間という限られた時間内だけです。インターネットは24時間体制なのに、これでどうやってビジネスになるのか。これから変わっていこうとするインターネット社会の新しいサイクルに向けて努力をしているのか、ということを考えると、我々はまだまだやらなければならないことがあるように思います。例えば、日本は情報家電の技術はお家芸ですから、それとインターネットと合体させ、マーケットをきちんとつくり出していけば競争優位に立てるのではないでしょうか。
では、こうした社会の到来にどう対処すればいいのか、私たちが日頃よく受ける質問をもとにリストアップしてみました。
「置いてきぼりはつくれません」−−米国では納税申告をインターネットで送れば、税の割引や早期還付などの優遇措置が受けられます。役所業務の効率化に協力しているという理由からなのですが、同時に近い将来、役所業務がそういう方向に進んでいくということを示しているようにも思います。そのためには、コンピュータが嫌いな人でもなんとか使いこなせるような環境を提供できるようにしなければなりません。
「日本語だけではいけません」−−インターネットは英語の支配する世界です。しかし、“私は英語がわかりませんからインターネットはできません”という人が圧倒的に多い。日本語がもっと力をつけて世界に発信できるようになればいいのですが、いずれにせよ、グローバル社会のもう1つの大きな側面といえるでしょう。
「安くないと使えません」「難しいと使えません]−−いうまでもなく、高価な機器を買わないと利用できないようではダメですし、だれもが簡単に操作できるものでないと困ります。
「危ないと使えません]−−子どもたちでも安心して使えることが基本です。
「個人と地域・身の回りから」−−インターネットは1つひとつのユニットがそれぞれ力をもっていて、それがうまく動いて全体をつくり出すという自律・分散・協調のシステムですから待ちの姿勢ではどうにもなりません。まず各個人レベルや身近な地域での努力が重要になります。
「世界をリードできません」−−世界における日本の使命を考えると、次の世代がこの国で生きていくとき、いまのようなインターネットに対する取り組みでいいのか。皆さんもいろんなお考えをお持ちでしょうけれども、このことを心にとめていただければと思います。

インターネットの動向
・米国で3人に1人 日本で10人に1人 世界で60人に1人
・世界244カ国で利用
・研究開発−日本は世界3位(標準化関係文書数)
・教育環境 利用環境 電子商取引

◎無限のコミュニケーション空間

インターネットを使うというのは、一言でいえばデジタル情報を共有したり、自由に交換し合うことです。そのデジタル情報とは、情報を数字で表現し、それを扱う小道具としてコンピュータがあるというだけのことです。
音は、音の波を一定の時間で区切り、波の大きさを数値化して送ります。においとか味はまだ数字で表現することができていません。慶応大学の環境情報学部がある湘南藤沢キャンパスは建物は素晴らしいんですが、実は周辺に畜舎があって風が吹くとにおいがしてくるんです。そこで私は、インターネットでそのにおいもお届けできないかといつも思っています(笑)。
そして、デジタルテクノロジーの発展が我々のコミュニケーションに対する貢献はますます大きくなっており、その先にあるインターネットのインパクトについていくつかあげてみましょう。
まず、インターネットは何度も申しているように本当の意味でグローバルな空間だということです。確かにプロトコル(通信の規約)は米国によるものですが、いろんなアイデアはネットワークを立ち上げているメンバーが各国から集まって話し合いました。その折、デジタル情報が技術的にどう流れていくかがテーマでしたから、私自身も初めから国境という概念は全く頭になかったことを覚えています。
そして従来のメディア、例えばTVは各国とも電波の割り当てが決まっているうえワンウェイの情報伝達媒体ですが、インターネットはデジタルテクノロジーによって数字がどのようにでも流れるようつくってありますので、メディアとしての制限はほとんどありません。しかもインタラクティブですから、世界に向けてどう意志表示をし、それに対してどんなフィードバックがあるかが大きな意味をもってきます。先ほど紹介しましたように、警察庁と郵政省では新しい法案をつくるのにインターネットを通じて、“修正意見があればどうぞ”ということをやっています。本来、広く衆知を集めるのは行政としてやるべきことだったのでしょうが、それがインターネットを使えば簡単にできてしまう。そこが新しいコミュニケーションモデルとされるゆえんです。
また、文化と言語に対するインパクトも大きいものがあります。以前、アイルランドの国営放送局から、インターネットでグローバルにつながると自分たちの独自の文化が失われていくのではないかという声が強いので、そのことについて話をしてほしいと出演依頼がありました。実は私も、以前はインターネットは英語だから日本語や日本文化の個性が果たして維持できるだろうか、と懸念していたのです。
そこで関係業界の協力を得て、日本語と英語のバイリンガルのソフトをつくり、その結果、コンピュータで日本語が表現できるようになりました。それまでは日本語を教えるとき漢字も教えなければならなかったのですが、発音さえわかればローマ字からの変換で漢字が出てくるようになったわけです。おかげで日本語の勉強が面白くなったと喜ばれ、海外に在住している日本人も日本の新聞が自由に読めるようになりました。そうなると独自の言語や文化が失われるどころか、逆に世界へ広がっていく方向にある、またそういう努力をしていく基盤はできたといえるのではないでしょうか。
さらに、大きなインパクトとして、グローバルな空間の中でのルールとか規制があげられます。現在、インターネットという地球全体の問題を取り締まる機関も、知的所有権をコントロールする組織もありません。自分たちの知的所有権を守っていくためにグローバルなコンセンサスを得るというプロセスは、これはコミュニケーションそのものなんです。例えば京都の人が、ジュネーブやロサンゼルスの人と一緒に考えて、市民の間ではどうすれば一番いいのかを決めていかなければ、グローバルなデシジョンメーキングができません。そうなると、従来とは違ったルールや規制に対する新しい考え方が必要になってくるでしょう。今後はいろんな支障も予想されるでしょうし、21世紀へ向けてのたいへん大きな課題といえます。

インターネットのインパクト
・グローバルな空間
・新しいコミュニケーションモデル
・文化の交流と発展
・言語
・グローバル空間でのルール 規制 規則 法律

◎自動車がインターネットでつながったら…

インターネットがTVとは全く違うアーキテクチャー(仕組み)であることの例として衛星利用があります。衛星を使うとわずかな遅延が起こりますのでコンピュータには向いていないといわれましたが、仮に京都と札幌の間にいきなり光ファイバーを張るとすると大変な時間がかかります。でも衛星なら、わずか5分で交信回線を張ることができます。
私たちは、阪神大震災の翌年の同じ1月17日の早朝、作為的に京都のネットワークを切り離し、それを検知してから何分後に復旧できるかということを衛星を使って実験してみました。その結果、光ファイバーが切れたとしても衛星をバイパスすると、インターネットを使っている人は切れたことすら気づきませんでした。これが湾岸戦争のとき、インターネットが最後まで使えたコミュニケーション手段だった理由でもあるわけです。また、衛星のアンテナを日本武道館に持ち込んで、インターネットで武道館からコンサートの中継も実験しました。このように衛星が使えれば衛星を利用していく。要は、インターネットは(足周りとなる通信技術が)どんな通信技術であろうとも、バッとふろしきをかぶせてその上で、いろんな形で進めていくことができるというところに特徴があります。
そして、インターネットをめぐってどういうことが起きているかというと、最近のFAXはインターネットを使って発信できるという機能付きの機種も出回っています。いうまでもなく、FAXはイメージをスキャナーしてデジタルに換え、情報を数字にして音声の回線で送っているわけですから、その特徴をそのまま利用しています。太平洋の国際線のケーブルは1996年に、インターネット用のトラフィックの量と電話、FAX等音声用のそれとはほぼ半々でした。しかし、その後はインターネット用が倍々ゲームで増え、比率からみると現在では音声用はごく小さくなっています。
このように、いろんなステージでデジタルコミュニケーションにかかわってくるようになると、日本はもっと頑張ってほしいなあと思うことがあります。それは例えば、新幹線の座席に電子機器の差し込みがないことです。差し込みがなければ充電できませんから、仕事ができないわけです。飛行機には導入されてきましたけれども、今日、人間が移動するところ機器も移動していることを考えると、我々技術者だけでなく、皆で取り組んで行くべき機会が今後増えてくるということです。
私たちは、自動車がすべてインターネットでつながるとどうなるかという研究もしています。この研究は、阪神大震災での音信遮断を教訓として始めたのですけれども、自動車にはバッテリーがある。自動車は電源のある空間なんです。もし自動車がインターネットでつながったら、大変なことになるということはすぐわかりました。雨が降り出すとワイパーをONにしますが、ワイパーの状態をモニタリングするだけで日本のどこでいま雨が降っているかがわかります。これは人間1人ひとりがつくりだしている小さな情報ですけれども、それを全部見ることができたらとんでもない新しい知識や情報のもとになります。
次に、ワイパーを「強」にしている自動車の位置をカーナビよりもっと正確に知りたいということで、位置情報についても研究を進めています。仮にそのインフラ、インターネットのインフラはコンピュータですから本当にソフト化できれば、そこから先は信じられないような安いコストで新しい技術と無限の可能性が生まれてくるような気がします。
一方、ビジネスとの関連でいえば、CDプレーヤーがインターネットにつながっていると、そのCDはだれが歌っているのか、その歌手はほかにどんなレコードを出しているのか、作曲者はだれかということなどがシームレスにインターネットから延びてきて、最後にオンラインショッピングにつながって“このCD買いますか”−−このような形でマーケットも広がってくるわけです。
また、岡山県の情報化のプロジェクトで「インターネット冷蔵庫」の話が持ち上がりました。冗談じゃないかと思われるかもしれませんが、インターネットとつながれば冷蔵庫の賢い使い方といった情報と、部品を交換したいとか冷蔵庫を買い替えたいということがオンラインでやりとりできる。なにも冷蔵庫とインターネットとつながっていて困る理由はありません。そうなったとき、何をどう技術的に詰めていくかは我々技術者の仕事ですが、それをどう体系づけていくかということは社会全体の課題だと思います。

◎“インターネットは血管”

>私が岡山県の情報ハイウェー構想で呼ばれたとき、最初に知事に「県立高校を全部インターネットでつないでください」とお願いしました。それから3年後、すべてつながりました。インターネットが進展していくためには、身近なところからやれることがたくさんあります。私もまず大学から実践していこうと、90分の授業をインターネットにアーカイブしています。ところが、受講しているのは慶応の学生よりも一般の方が多いのですけれども…。
それで授業のスタイルも変わってきたのですが、一番変わったのはレポートです。ホームページにレポートを書かせると、2番目に提出する学生はその前に出した学生のレポートをクリックしてのぞき、それを参考にします。そうすると後になるほどいいものができ上がってきますので、最初に提出した学生は気分を害して皆のを見てまた書き直します。こうしてレポートの課題を全員がお互いに習得しますから、私は採点をする必要がありません(笑)。
もう1つ、時間の問題ですが、インターネットには輻輳制御ルールがあり、データを投げてすぐに返事が戻ってきたら空いていると判断してたくさんデータを送り、返事が遅かったら混んでいるということで少し送る。そこがインターネットのすごいところです。サービス機能の一環として、優先度に応じてビデオや音声を滞りなく送るため別の“待ち行列”に組み込む作業も大体終わり、99年から運用が始まる予定です。それから、インターネットで放送を送るのは相当難しいことですが、2〜3年後には必ず動き出してくるでしょう。
最後に、皆さんにぜひお考えいただきたいのは“インターネットは血管である”ということです。血液が栄養分を運んでいるように、インターネットは取引をはじめいろんなやりとりがされる乗り物です。その血管が行き渡っていないと細胞は窒息しかねません。それには血液を送り出すポンプが必要になります。いま、そのポンプはどうも米国やヨーロッパにあって、これからも日本にはポンプがないままでいいのかということを申し上げ、これを機会にわが国、さらに人類にとっての新しいインターネットについて皆さんとともに考えていければと思います。


MONTHLY JOHO KYOTO