1997 AUGUST
NO.262
KYOTO MEDIA STATION
特集
平成9年度 京都府異業種交流会 連絡会議
「講演と交流のつどい」開催



さる7月17日(木)、京都ブライトンホテルにおきまして「京都府異業種交流会連絡会議 平成9年度総会」と京都府異業種交流会連絡会議、中小企業事業団、財団法人 全国中小企業融合化促進財団主催によります「講演と交流のつどい」が開催されました。本年度は約150名の方々にお集まりいただき、中沼 壽京都府異業種交流会連絡会議会長、吉池 一郎京都府商工部長からのごあいさつの後、藤原 貞雄山口大学経済学部教授から「ベンチャーブームと異業種交流活動」と題してご講演をいただきました。

「基調講演」

 ベンチャーブームと異業種交流活動
 山口大学 経済学部教授 藤原 貞雄氏

人脈なくしてベンチャーなし
世界は企業の国際競争、地球規模のメガ・コンペティション(大競争)の時代を迎えている。同時に情報通信革命の奥行きが広がり、日本では新旧産業の交代期に入った。経済社会のシステムの旧弊化が指摘され、規制緩和、行政改革、政治システムの変革も切迫している。こうした新時代の息吹を告げる環境に鼓舞されて新しい事業、新しいやり方で事業を起こそうという動きが、今日の第3次ブームと呼ばれるベンチャーブームの背景となっている。
しかし、それはブームというよりベンチャーバブルといっても過言ではない。やがてはじけてしまう危険性もはらんでいる。だからブームを一過性のものに終わらせないためには、ビジネスとして確かな実を結ぶことが必須の課題になってくる。
多くの成功例をみると、どんな場合でもベンチャーが人脈なしに生まれてくることはない。必ず周囲には人脈がある。その意味で、異業種交流活動こそがベンチャーを生み出す大きな柱といえるだろう。

◎ベンチャー支援の「創造促進法」
異業種交流が全国で盛んになったのは、昭和56年に通産省の補助事業で技術交流プラザが各地で開かれるようになってからである。当時、第2次石油ショックの余波で、同業者だけの団結だけではもはや経営の維持が困難になったからだ。事業の多角化をめざして商工会議所や中小企業団体が交流活動を強化したこともあり、異業種交流は一気に広がった。そうした動きを政策的に体系化したのが同63年の「融合化法」だが、仕組み自体は融合化組合の設立と補助金をセットにした旧態依然のもので、狙い通りの成果はあげられなかった。
その反省に立ってできたのが平成7年の「中小企業創造活動促進法」。ベンチャー創出をめざした初めての法律で、創業しようとする個人や企業、組合を問わず、認定されれば融資、税制上の優遇措置が受けられるのが特徴だ。
同法がベンチャー経営者にどこまでコミットできるか疑問もあるが、山口県の場合、認定企業の大半を異業種交流参加企業が占めている。また、日本のベンチャーキャピタルも実績主義というか、起業して5年ほどたち、成長軌道に乗ったところに資金を出す傾向がある。異業種交流を地道に続け、開発志向を失わずに取り組んできた経営者にとって、ようやくフォローの風が吹き始めたといえる。

◎原点は4つの「合い」
異業種交流の原点は4つの「合い」にある。「知り合い、学び合い、使い合い、創り合い」−−中小企業は自社資源に乏しいからこそ異業種交流を行う。経営学ではアウトソーシング(経営資源の外部調達)、いわば「借能」が原点になる。
一面で異業種交流というのは効率の悪い活動ともいえる。よく「ギブ・アンド・テイク」といわれるが、現実にはそんな交流はあまり見られない。ベテラン経験者は「ギブ・アンド・ギブ……とギブがいくつもあって最後にギブンがある」という。与えて、与えて、与え続けて、しからば与えられんというわけだ。したがって異業種交流は効率のみを求める経営者にはあまり向かず、参加するにあたっては一種の品性、徳性が求められることになる。いいかえれば、そうしたものをベースに活動を進めていくからこそ異業種交流は意義があるし、実際、ギブ・アンド・ギブンの精神でやっている人が結果的に大きな成果を得ている。
もちろん、技術革新へのあくなき意欲を持つことは当然である。特にこれから必要なのは、情報通信の技術革新をどう取り込んでいくかだろう。世の中はまさに“読み・書き・パソコン”の時代。経営トップは、ゴルフを休んででも、少なくとも電子メールぐらいは発信できるよう習得していただきたい。

◎「狂・騒・賢・愚」
異業種交流には「狂・騒・賢・愚」のハーモニーが大切だと思う。幕末の長州藩がなぜあれだけの力を持ち得たのか。故司馬遼太郎氏の司馬史観によると−−
「狂」は松下村塾の吉田松陰や、その弟子で身分制度にとらわれず奇兵隊を組織した高杉晋作らの先駆者。「騒」は別名“そうせい公”ともいわれた藩主の毛利敬親公で、家臣が進言すると「そうせい、そうせい(そうしなさい)」といって後押しした。伊藤俊輔(博文)、山県有朋も高杉に同調して討幕に活躍する。「賢」は西洋砲術を学び近代軍制の礎をつくった大村益次郎、そして「愚」は愚直にとことんやり抜く群像がいた。
つまり、これまでとはまったく違った発想で何かをやろうという「狂」、面白そうだからやってみようという「騒」、それを技術的に裏付けをする「賢」がいて、粘り強く実践する「愚」がいるという構図である。
米国のベンチャーキャピタルは投資にあたっては、「技術一流、人物二流」より「人物一流、技術二流」を選ぶという。人物とは起業家としての資質を備えているかどうかということだ。
今日、異業種交流も世代交代期を迎えつつあり、交流だけにとどまらず新しいビジネスをおこす段階にきている。それは必ずしも新会社ということではなく、企業内ベンチャーも大いに視野に入れるべきだろう。さらに大学都市・京都の場合は、その輪の中に大学院生などの若手研究者を引き込むなど産学交流を深めていただきたい。