特集 日本 と 京都 産業政策のこれまでとこれから
1.今日の日本 平成不況の当初、私は、日本の生産力の堅実さからして、政策さえ誤らなければ、短期間で調整は終わるとみていた。 しかし、バブルがはじけたあとで、実は国民に知らされていなかった問題が次々と白日のもとにさらされるようになり、とくに行財政と金融面において日本の病理が深く広いこと、そして、その改革なしではグローバル化した世界経済に日本が対応できないことが明白になってきた。調整課題は、単に生産面だけでなく、日本経済の全面にわたっていたのだった。 さらに、いくつかの企業不祥事、阪神・淡路大震災、薬害エイズ問題、地下鉄サリン事件とオウム真理教などが赤裸々に示しているように、戦後約50年を経た日本社会を、政治、行政、経済、企業経営、教育など、すべての面において、あらためてつくりなおすことが課題になっている(「明治以来の」ではない。ここでは詳しく述べないが、明治国家は昭和10年代と30年代という2度の組織替えを経て、現代の日本国家に変質したと私は考えている。それが国家の体をなしていないことはすでに湾岸戦争の屈辱で明白であった)。 これはもはや経済をこえた問題である。この課題に誰が取り組むのかが今日の政治的問題の本質だろう。しかし、日本の国づくりのあり方が見えてこないので、構造的調整はいまだに進まず、今年1年の日本経済は、「緩やかな回復」といわれ続けながら、なお本格的な復調をみせてはいない。古い制度とそれに寄生するもののために、国民の潜在力が台無しになっている。 2.産業政策の課題 政策は混乱を極めている。地域に直接影響する分野でいうと、高齢者介護はどうするのか、医療はどうするのか、地域産業の空洞化にどう対処するのか。これからの都市づくりはどうするのか。選択可能性がさまざまに提示されても、一貫した政策体系をなすのかどうか。衆目の一致するところは何もない。 地域産業政策が都市政策と分離不可分であるという意識はかなり定着したようだが、今の行政制度の中でその意識をどのように現実に結びつけるのか、その方策はだれにもわかっていない。何がなんでも大規模店舗反対という中小商業者のエゴに対して消費者の利益を守りつつ、都市の空洞化と地域商業の沈滞を挽回する方策は、土地利用規制の強化という一点しかないと私は考えているが、その根本問題に有効に着手できる制度は存在しない。都市に立地する製造業の窒息に手がうてるのかも、確信がない。聞こえてくるのは「創造技術」「ベンチャー育成」の大合唱ばかりである。 おそらく今日のベンチャー育成策の中で、日本の制度の根幹に触れ、したがって有効性をもつのは、リスクマネーを提供するシステムと、大学改革であろう。 リスクマネー提供システムは、金融機関と証券市場の姿勢が問題で、その背後には税制の問題がある。 金融市場については、ようするに大蔵省が徹底的に規制緩和すること、そして預金者保護を保険機構の問題として処理することである。証券市場については、同じく徹底的な規制緩和を行って、投資家保護策は税制面の施策として切り離すことである。そして、リスクのある市場では、預金者保護策や投資家保護策よりも、情報開示が大切であるから、情報開示を怠った企業には重大な罰則を課すことである。 このようにして、本来のリスク・マネジメントを銀行や証券会社が自ら進んで行えるような環境を整備しなければいけない。日本の制度がそうなっていないことは、表向きの趣旨ではなく、実績でアメリカと比べてみるとわかる。創業から上場までの平均所要年数が、アメリカのNASDAQでは5年程度であるのに対して、日本の店頭市場では20年もかかっている。 創造技術とベンチャー育成のもう一つの根本政策は大学改革である。大学教育のあり方の改革だけでなく、大学での技術開発や基礎研究がそのまま起業に結びつくことを許容する制度が必要になる。特許の問題も一つであろう。産学協同を大学の義務として展開することも一つであろう。ここではベンチャー育成が経済政策では終わらず、文教政策や科学技術政策の問題になるが、そこに縦割り行政がたちふさがっている。 3.京都の産業政策
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