1996 JANUARY
NO.243
MEDIA STATION


故 立石孝雄理事長様を偲んで
特別顧問 京都府知事 荒巻禎一

京都産業情報センターの立石孝雄理事長様のご逝去に際し、慎んで哀悼の言葉を申し上げます。
故立石孝雄様におかれましては、申すまでもなく、京都はもとより我が国の経済、福祉など様々な分野でご活躍され、その振興、発展に大きく貢献してこられたところであり、そのたゆまぬご努力に対し、常日頃から敬服いたしておりました。
21世紀に向け、京都の更なる飛躍を図るため、今後ますますのご奮闘をご期待しておりましただけに、誠に残念でなりません。
ここにご生前の数々のご功績とご遺徳、そして、優しかった笑顔、お人柄を偲びながら、心からご冥福をお祈り申し上げます。
そして、その尊いご遺志に学び、改めて自らに課せられた責務の重大さに思いをいたすとともに、府民生活の向上・安定のため各分野のきめ細かな施策の充実に引き続き全力を傾け、安らぎと潤いのある、持続的発展が可能な京都府社会の構築に邁進する決意を新たにしているところでございます。


孝雄さん安らかに眠り給え
顧問 (財)京都高度技術研究所理事長
(元(財)京都産業情報センター理事長)堀場 雅夫

いつも笑顔の布袋さん、年は私の方が7歳も上だが貴方と話をすると兄貴分と接している様でなんでも“うんうん”と言って聞いてくれましたね。
京都産業情報センターを昭和53年に設立していよいよ10年目を迎えようとしたとき、創立以来理事長の席をお預かりして来た私は新しい情報化時代に突入するに当たり、この分野の専門家で京都活性化に情熱を持っている若手の経営者に席を譲るべきと考えました。その人とはただ一人貴方の事だけが頭にありました。
貴方は私の話を聞いて最終的に京都のために一肌脱ぎましょう、と快諾してくれましたね。そしてその後一肌どころか二肌、三肌脱いで情報センター発展のために努力をして下さいました。創立の時から携わった私としてはほんとに嬉しかった。ありがとう。ほんとにありがとう。その貴方がこんなに早く旅立つなんて信じられない。今はただ御冥福をお祈りするのみ。
合掌


「故 立石孝雄理事長を偲ぶ」
副理事長
(株)イシダ代表取締役社長 石田隆一

小生が亡き立石孝雄さんの知遇を初めて得たのは経済同友会ジュニアグループが設立された昭和37年4月、共に第一期生として参加した時であった。今から思うと立石さんを筆頭に村田さん、西村(宗)さん、松風さん等、多士済々にて常に亡き鎌倉先生や今でもご活躍中の島津先生を囲んで遅くまで侃々諤々と議論に花を咲かせたものであった。
当時より立石さんには大人の風格が備わっており、ニコニコと皆の話を十分に聞いて下さった後、適切なアドバイスを頂けるのを常とした良き兄貴分で、例会終了後も場所を変えて良く飲み、良く食べ、夜の更けるのも忘れる程であったのは前に日経新聞の交遊抄に書かせて貰った通りである。その後、正和会、YPO、同友会、産業情報センター、会議所等々と多方面にわたって兄事させて頂き、色々とご交誼ご指導給った事枚挙にいとまなく心より御霊前に御礼申し上げたいし、得がたい兄貴分を失った痛恨は今でも小生の心の底にうづいている。
その間、プライベートに於いても峯子夫人、真澄さん、真太郎さんそれぞれに私の妻子がこれまた一方ならぬお世話になっており今更ながら失ったものの大きさを家族一同ひしひしと感じている所である。かほどにまで公私に於いてご指導給ったにもかかわらず5年半前より仰せつかったこの産業情報センターの仕事に於いても立石理事長をお助けした事の少なさを思う時、慙愧(ざんき)に堪えぬ気持ちで一杯である。
故人の御霊の安らかならん事を心より祈って筆を擱(お)く。


立石孝雄理事長様ご逝去によせて
副理事長
京都府商工部長 高見靜治

立石孝雄理事長様の突然の訃報に接し、慎んでご冥福をお祈り申し上げます。
立石理事長様におかれましては、昭和63年に京都産業情報センター理事長にご就任いただいて以来、府内企業の情報化の推進をはじめとする京都産業の発展に、多大なご尽力を賜りました。
特に、昨年7月には、社会経済環境の急速な変化に的確に対応するとともに、府全域に当センターの事業展開を図るため、21世紀に向けた事業計画「ACT21」を策定されるなど、今後ますますのご活躍をなされようとする矢先のことでありました。
マルチメディア技術の急速な発展に伴い、京都産業の今後の発展を図る上で、情報化への取り組みは最重要課題となっております。
立石理事長様のご生前の温かいご指導に対し改めて感謝いたしますとともに、そのご遺志に沿うべく、当センターの一層の事業推進を図ってまいりたいと存じます。


温かなお人柄を偲ぶ
副理事長
京都市産業観光局長 高木 壽一

財団法人 京都産業情報センター理事長 立石 孝雄様のご急逝を悼み、つつしんで、哀悼の誠を捧げます。
特に、私自身が副理事長を仰せつかっており、故理事長とは、本財団の事業についての協議をさせていただく場を初めとして、その温かなお人柄に直接ふれあう機会も数多くございました。
こうして思い返せば、追慕の念、ひとしおのものがございます。
いま、高度情報化の流れが加速度的に早まるなか、全国有数の「ものづくり都市」であるこの京都が、将来にわたってもその機能を維持していくために、インターネット等に代表される産業情報の基盤整備は必要不可欠であります。
また、一方で、機械上の電子情報だけではなく、故理事長自らが実践された温かな人間同士のふれあいや、生きた情報の交換の場づくりも、欠くことのできないものです。
本財団は、故理事長のリーダーシップのもとに、このふたつのことがらを、様々な取り組みを通じて実現してきました。
「鴨川の流れのように、京都の産業の共同が続いていくと信じる。」
私たちは、悲しみの中に埋もれることなく、故理事長が語られたこの言葉を実現するため、一致協力していかねばなりません。
故立石理事長が安らかに眠られますようお祈り申し上げます。



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