1996 JANUARY
NO.243
MEDIA STATION



故 立石孝雄理事長を偲んで
―追悼特集―

昨年11月22日に逝去された故立石 孝雄理事長を偲び、(財)京都産業情報センター役員各位、またその他のみなさんよりたくさんの追悼文をいただきました。これらすべて、関わった方々がいかに立石理事長へ尊敬と親しみの念を抱いていらしゃったかを伺い知ることができるものです。改めてご冥福をお祈りする意味を込めまして、心のこもった追悼文を掲載させていただきます。


故 立石孝雄氏プロフィール
昭和7年11月、愛知県名古屋市生まれ(本籍は京都市)。昭和26年京都府立山城高、同31年京都大学電気工学科を卒業後、立石電機に入社。同52年に代表取締役副社長、同54年には代表取締役社長として就任。62年代表取締役会長に就任、平成2年に社名をオムロン(株)と改称した。その間、46年日本青年会議所副会頭を務め、58年には科学技術庁長官賞、平成元年に藍綬褒賞受賞。
(財)京都産業情報センター理事長ほか、京都経済同友会特別幹事、経団連理事などその他数多くの要職を務めた。趣味は音楽、旅行、ドライブ。家族は妻、長女、長男。「相手を理解し、誠意を尽くす」を信条とした。




センターとともに7年
昨年11月22日、(財)京都産業情報センターの立石孝雄理事長(オムロン(株)代表取締役会長)が心不全のため、東京女子医科大学でご逝去されました。「企業は地域とともにある」という信念のもと、経営の一線を退かれてからは京都での財界活動や地域貢献活動に尽力、当センター理事長としても行政の産業振興施策に深くかかわってこられました。
1988年12月に当センターの理事長に就任され、以来7年。「相手の立場に立って誠意を尽くす」をモットーに、だれに対しても率直で親しみ深い温厚な人柄とバランス感覚で、センターの地域における活動基盤づくりに情熱を傾けてこられました。
就任の翌89年、センターは現在地の京都リサーチパーク(KRP)に移転、地域経済の振興と活性化を図っていくためにセンターの役割と可能性が模索されました。そうしたなか、「高度情報化・国際化・高齢化はますます進展し、人々の価値観までもが大きく変わってくる」という立石理事長の考えから、91年、京都産業情報センター委員会を設置して中長期事業の指針となるマスタープランを作成。最先端の情報の提供機能、全国の企業や地場産業を含めた情報の交換機能、京都府全域に対する情報の提供機能という、これら3つの機能の充実と推進を打ち出しました。
センターにとって、もう一つの課題は会員の増強と交流。「企業だけでなく、経済団体や地方公共団体に会員になっていただくとセンターの機能の幅が広がり、大学の先生をはじめ、さまざまなノウハウをお持ちの方々にも参加くださればいろんな角度からの助言もいただける」。こうした立石理事長の発想にもとづいて、92年には会員制度を充実して団体会員や学識経験者などの特別会員制度を新設し、会員数は300を突破。また、京都府北部と南部地域の会員の交流を主眼においた会員交流会にも力を注がれました。
センター設立15周年を迎えた93年。産・官・学の協力を得て結成、府県レベルでは全国有数の規模を誇る京都府異業種交流会連絡会議(現在98グループ、約1万2、500社)の運営を支援する一方、「京都データベースフェア」を開催しました。さらに、開放路線で急速に変革が進む中国へ情報調査団を派遣。センターとしては初めての海外調査で、立石理事長が団長を務められました。「今後、京都産業の発展を考えるとき、国際化の問題は抜きにできない。その意味で、センターが国際産業情報の収集・提供事業をも担っていく必要がある」と、自らその先頭に立たれたのです。
94年には、インターネットを京都産業界の活性化に行かそうと京都府、京都市の支援を受けて「京都インターネット利用研究会」が発足。既存の「DL京都」「KYONET」と合わせて3つの情報ネットを立ち上げ、95年5月からは京都発のホームページ「ふろむ きょうと」をインターネットに接続し、世界に向けて情報の発信を始めました。
いま注目のインターネットですが、立石理事長は「マルチメディア、コンピュータなどハイテク機器の活用も重要だが、人と人とのつながり、つまりヒューマンネットワークこそ、より重要」と説かれ、センターでは情報ネットが会員のヒューマンネット拡大に役立つことを願って事業展開していく方針です。
そして今日、21世紀を間近に控え急激に変化する経済環境下で、これまでのセンターの事業計画」(略称:ACT21)の策定を進めてきました。センターの果たすべき役割が今後ますます重くなってくる矢先の訃報―立石理事長が胸中に描いておられたであろう京都産業情報センターの進むべき道を、会員のみなさまとともに切り開き、さらに発展させていくことが私ども役員・職員の務めであると改めて決意を固めている次第です。



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