京焼・清水焼
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京焼・清水焼について 清水焼のミニ知識
起  源

始 ま り

仁  清

乾  山

江戸末期

明  治

現  代
■明治
 明治期に入ると、京都の陶磁器業界においては、伝統技法を守りながら、一方でヨーロッパの化学的、工業的な製陶法を全国にさきがけて積極的に導入し、販路の開拓や生産の合理化、経営の近代化などの新しい動きをみせてきた。

 明治元年(1868)、三代目清水六兵衛と真葛長造は、横浜で石膏型使用の製法を修めて京焼に活用し、明治五年には錦光山宗兵衛が輸出品を試作し、神戸の外国商館で試売会を開いて、海外進出のきっかけをつくった。

 また明治六年には、ウィーン万国博覧会へ京都の陶磁器を出品して評価を高め、これは海外へのPRと同時に、ヨーロッパからの技術の導入と、輸出振興のための基礎づくりとなった。

 また、明治十一年にドイツ人技師ゴッドフリート・ワグネルを招き、西洋釉薬などの新しい製陶技術が吸収された。


 他方、乾山伝七による京都で最初のヨーロッパ式円窯を使った洋風陶磁器の生産や、粟田の錦光山宗兵衛らによる大規模な工場生産など、近代的工場生産様式の導入が始まった。

 そうして明治末から大正中頃にかけて、京都の陶磁器業界は絶頂期を迎えた。四条の拡大で、製作地域は粟田、清水から日吉、泉涌寺地区に広がり、その増大する生産量と零細企業との矛盾は、清水・五条地域を中心とする共同窯と貸窯の開発で解決がはかられた。

 その後今日に至るまで、京焼・清水焼業界をとりまく環境には様々な変化や問題が生じ、登り窯から電気窯・ガス単独窯への急激な転換や、京都市山科区、宇治市炭山地域への集団移転などが起こっている。

 しかしながら、多品種少量生産を特色とする京焼・清水焼は、日本の陶磁器界で確固たる地位を築いてきており、先人たちの活躍に加え、今日なおその伝統を守り、さらに新たな意匠をめざす名工たちによって、京焼・清水焼の手づくりの良さが伝えられ、根強い人気を保っているのである。
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