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■乾山 |
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仁清とともに声価の高いのが尾形乾山(1663〜1743)である。
乾山は京都の呉服商雁金屋の三男に生まれ、兄は有名な画家尾形光琳、曾祖母は江戸時代に光悦焼をつくった数寄者本阿弥光悦の姉にあたる。
生まれながらの陶工ではなく、光悦の孫である空中斎光甫から光悦の楽焼の陶法書を授かり、本格的な陶工の道を志した。
元禄十二年(1699)には仁清の窯に陶法をならい、鳴滝に窯を開いた。乾山のやきものは、兄光琳が持ち前の奔放な筆致によって絵付けをし、乾山が得意の書によって讃を寄せるというもので、二人の共同作業による銹絵皿の数々が伝承している。
乾山の作品の特徴は、生き生きとした筆使いや構図の巧みさ、そして色彩感覚の絶妙さにあるといわれ、意匠化された梅や菊など独特の文様が多くみられる。
独創性の面において独自の技法を生んだ乾山のやきものは、茶人などの注文に応じて作陶を行っていた仁清陶をしのぐともいわれ、その後幕末にかけて、乾山のように独立した陶人が次々と誕生するのである。
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