感 想


私にとって今回のトップセミナーにおける最大の収穫は、全盲のイラストレータ、エム・ナマエさんの話を聞けたことです。

実は私は目の前でエムさんを見るまでは、彼のことをもっと「失明者っぽい失明者」だと思っていました。大変失礼ながらかなり「ひ弱」な姿をイメージしていたのです。しかし、実際の彼は違いました。自らの力で自らの道を切り拓く術を手にした彼は、生きる自信に溢れ、力強く、したたかで、その姿は実に堂々としていました。彼は失明したことをきっかけに、健康な開眼者でさえ辿り着けないような世界に到達していたからです。

さて突然私事を持ち出して恐縮ですが、私は絵を描きます。今はそれで食べている訳ではありませんが、絵を描く人間の端くれとして絵で食べていくことの難しさをほんの少しですが知っているつもりです。そしてそんな私にとって、エムさんの絵に対する考え方は衝撃的でした。通常絵を志す者は多かれ少なかれ「自分の描いた絵に対して陶酔したい」との思いを持っています。そこまで奢り昂ぶった自覚はしてないかも知れませんが、少なくとも「自分自身が満足できる絵が描きたい」とは思っているでしょう。そのぐらいこの自己満足的欲望には絶ち難い魅力があります。しかし、エムさんは絵を描く身でありながらその自己満足的欲望の充足を完全に放棄してしまっているのです。これは驚異です。

勿論彼とても失明してすぐにそうした「悟りの境地」に達していた訳ではありません。最初は「自分で描いた絵を自分で愛でることができない」ために、描く意欲を完全に失っていたのです。しかし、戯れに描いた自分の絵を見て小躍りして喜ぶ配偶者の姿をきっかけに、彼はもう一度絵に取り組むようになったのです。かつてのように「自分で描いた絵を見て自分で喜ぶ」ためではなくて、今は「自分の絵を見て喜ぶ誰か」のために。

「自分の仕事の評価は他人にお任せてしている」。この字面だけ見ると結構簡単なことのようにも思えますが、実際にはそれほど容易ではありません。失明者の場合、自分で自分の絵を視覚的に確認することができない訳ですから、絵を描くとすればその評価は全て自分以外の人がすることになります。自分ではどう見えるのか全く判らない作品を他人の評価に曝す。これは絵を描こうとする人間にとっては殆ど恐怖に近いものがあるでしょう。ところが、彼の場合「見ようとしても見えない」状況の後押し(?)があるものの、「見えないこと」を「自由」と考えることができる発想の柔軟さによって、いとも簡単にそのハードルを超えてしまっているのです。さらに驚くべきは、それを誰からも揶揄されない趣味の領域にしまっておくのではなく、厳しい評価が待ち構えている仕事の領域へと開放している、すなわち金を稼ぐための手段としておられる点です。最近の若い人の傾向として、ありもしない「本当の自分」を守るために他人からの評価を避け、どんどん自分の殻に閉じこもろうとすることが挙げられますが、彼の発想はそれとは完全に正反対のベクトルを持っています。自我を主張する必要がないため守るべきものが何もない。その姿勢は完全にオープンで、他人からの評価だけを作品の判断基準にしている。そしてそうやっていろいろな人の評価を経て鍛え上げられた結果、どの作品も非常に力強いものに仕上がっているのです。堅牢です。

私は今回トップセミナーで出会ったたくさんのIDDMの人の中で、エムさんが一番「自立したIDDMである」と感じました。それは、彼が「自分の評価を他人に預ける」その逆転の発想によって「自立」を手に入れているからです。閉じこもってはいけない。自分のやったことの結果をオープンにする。これは、絵を描く上でも、IDDMをコントロールする上でも、そして自分の人生を生きていく上でも忘れてはならないことではないでしょうか。私は、今の我々に欠けている大事な考え方をエムさんに教えもらったような気がしました。

最後になりましたが、こうして素晴らしい人に出会う機会を与えて下さった全ての皆さんに感謝致します。有り難うございました。



それでは皆さん、また来年の東京のジャンボリーでお会いしましょう!



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