9月22日(日) 13:00〜 

体験談 「IDDMの自立をめぐって」

1.「結婚〜出産〜子育てを経験して」

   野口泰子さん


野口さんはこれまでサマーキャンプには参加されていましたが、トップセミナーに参加するのはこれが初めてだそうです。発症は11才で、中学3年のときに初めてキャンプに参加。それまでは、気が弱くて消極的思考をする子でしたが、キャンプを機に何でもやってやろうと考える積極的な子供に変わったとのことです。学校を出てからは、普通のOLとしてではなく、自分の技能や特技を活かせるピアノやエレクトーンの講師や演奏者として活動してこられました。


付き合っていた彼には最初はIDDMのことは最初は告げていませんでしたが、結婚しようとの話が出たときには、お茶を飲みに入った喫茶店のテーブルの上にインシュリンの注射とアンプルを出して病気のことを説明しました。やはりそのとき相手は絶句状態でした。

その返事があるまでは「断られても仕方がない」と半分諦めていましたが、彼は「自分が近眼で、メガネがないと生活できないのと同じように、君にはインシュリンが必要なだけなんだろう」と理解を示してくれました。そこでIDDMについて解説した本を彼に渡して読んでもらうなど、さらに正確に理解してもらうようにしました。

さて結婚を前提として付き合ってはいたものの、24才のときに無計画妊娠をしてしまいました。そのときコントロールは良かったのですが、親が心配して「堕せ」と言われてしまいました。しかし、主人は出産を希望し、仲村先生も一言「産め」と言ってくれたので、私も産む決心がつきました。そして無事出産することができたのです。

そこで、二度目の妊娠では今度こそコントロールをきっちりやろうと反省し、実際かなり良好なコントロール状態にもっていくことができたのですが、その反面低血糖を頻発することにもなりました。駅のホームやデパートの駐車場で低血糖を起こしたこともありました。また、夜中の寝ているときに低血糖を何度も起こしたりすると、主人が怒ることもしばしばありました。低血糖を起こしたときにフラフラの状態であるにも拘わらず(自分は覚えていませんが)「大丈夫、何ともない」を繰り返すので、ついには蹴られてしまったことも一度だけありました。この二度目の妊娠では安心したせいか子供が大きくなり過ぎて(3700グラム)しまい、出産のときに腰を痛めて一カ月ほど身動きができなくなってしまいました。

しばらくすると、今度は主人が病気(潰瘍性大腸炎)になってしまい、最初は大したことないだろうと気楽に構えていたところ、熱が下がらなかったり、下血があったり、さらには下血を止めるためのステロイド剤の副作用で手術を余儀なくされ、都合5カ月も入院することになってしまったのです。

彼は側で看ていて苛立つぐらい弱気になり、私たちの立場はすっかり逆転してしまいました。私はそんな彼に「病気だから『あれができない、これができない』などと考えるのはやめてほしい。自分で自分のことを特別扱いしていたら、他の人から特別扱いされてもしかたがないよ。背中を見せていたら後ろから来るものに押し潰されるかも知れないので、正面から向き合わないと」と諭したこともありました。

そんなとき、先生に相談にのってもらったり、いつも連絡を取ったことのない人に励ましてもらったりと、いろいろな人に支えてもらうことによって困難に立ち向かうことができたように思います。そのお蔭もあって、最近ではやっと彼も快復し、元の職場に復帰することができました。

しかしこうした経験を通して、IDDMに限らず、病気や困難に立ち向かうときには友達や主治医を頼りにしてはいけないと私は逆に痛感しました。最後の最後に頼りになるのは結局は自分だけだからです。そして、そうやって自分しか頼りにならないことを肝に命じておけば、もし友達や主治医が頼りになることが判れば、それだけ喜びが大きくなります。私はこのことを忘れずにこれからの人生を送っていきたいと思います。



ひとこと

...IDDMの人の人生にはドラマがありますね(^^;)。不謹慎かも知れませんが、私は良い意味で「IDDMのある人生」のスリルを楽しんでいけたらと思っています。





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