下村正啓(しもむらしょうけい)(1688〜1748)
江戸中期以降京都を中心に発展した呉服商大丸屋(現在の百貨店の大丸の前身)初代。
十九才の時、祖父からの家業であった古着商を継いで行商を行う。さまざまな苦難の後、享保二年伏見に呉服店を開き、その後各地に店を出す。元文元年東洞院船屋町に大丸総本店を新築、同三年には江戸にも進出した。儒学の影響を受けた正啓は、荀子の栄辱篇に現れる「先義後利」を事業の経営理念とし、掛け軸にして全店に配布、これを大丸の商魂とするよう命じた。一と人を組み合わせた字である大と、宇宙を表す○を用いた商標は、天下第一の商人となる正啓の決意を象徴するものと伝えられる。正啓が日頃語り、書き残した言葉をまとめた「遺訓諸録」には客を蔭でも敬称を用いること、客のためにならぬ物は売らぬこと、客に上下をつけぬことなどが記されている。正啓の立志伝をつづった「大丸繁盛記」は幕末から大正初年頃まで講釈師によって語られたり、読み物になった。




白木屋彦太郎(しらきやひこたろう)(1636〜1689)
近世の江戸店持京商人(えどだなもちきょうあきんど)。
大都市化した江戸には各地から物資が送られた。江戸に店舗を持つ有力な京商人は江戸店持京商人と言われ、江戸の大きい呉服店の多くは京都に本店を置いて、商品の仕入れと両替業務を行った。
白木屋彦太郎は本姓大村氏。近江に生まれ、京都で材木店白木屋根を開業。のち小間物・呉服類を扱って財をなし、寛文二年、江戸日本橋に店を開いて小間物・呉服類を販売。白木屋は明治時代に百貨店となった。


都の人列伝