佐々木清七(ささきせいしち)
弘化元年飯室源兵衛の次男として生まれ、25歳の時に佐々木家の養子となる。家業は帯地の生産を主としていたが、織法の改良を志し、明治11年荒木小平がフランスから持ち帰られた鉄製ジャガード機を木で模造したものを率先して使用、疋田鹿子織の女帯地を発明した。明治18年には蓬莱機を考案し、帯地のほか窓掛、表装、室内装飾用等に応用して海外にも輸出、佐々木織の名を得た。明治23年パリ博覧会に壁掛を出品して以来、国内外各地の博覧会、共進会等に出品、数十回にわたって金銀賞碑を受賞した。また業界各種の機関に参与するなど業界の発展、後進の育成にも貢献。明治28年緑綬褒章受賞。








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