村井吉兵衛(むらいきちべえ)
明治の民営煙草業者。村井兄弟商会を設立して、明治23年にわが国ではじめての洋風両切煙草「サンライズ」を製造発売した。続いて「ヒーロー」、「バアジン」などを発売し、明治32年には米国タバコ会社の資本を導入、東京の天狗煙草岩谷商会と商戦を繰り広げるなどその名声は世界のタバコ商として知られた。明治37年のタバコ専売法の施行後は実業家として活躍。村井兄弟商会の建物は専売局専売公社の京都工場として使用され、村井の技術が大いに役立った。円山公園には村井吉兵衛が別荘として建てた「長楽館」がある。

浜岡光哲(はまおかこうてつ)
明治の実業家。明治12年商報会社を設立して「京都商事迅報」を刊行、続いて明治14年に「京都新報」を発刊し、京都政財界の中心的存在となる。「京都新報」は論説を掲げるなど京都初の本格的政論新聞だったが、「京都滋賀新報」、「中外新報」と改題を重ね、弾圧を受けた場合の身替わりとして創刊した「日出新聞」の人気上昇に伴って廃刊。「日出新聞」では全国20数ケ所に通信員を委嘱して通信網の拡張につとめた。一方、京都織物会社、京都商工銀行、関西鉄道など諸会社の設立に関与、役員をつとめ、明治18年には京都商工会議所の会長に就任。府会議員、市会議員、衆議院議員も歴任した。


都の人列伝