川島甚兵衛(かわしまじんべえ)
京都の呉服悉皆業上田屋に生まれる。明治12年家業を継いで織物業に従事。明治17年川島織物工場を設立し、丹後ちりめんなどの織法を改良、唐錦や綴織の模様織の製作改善に努力した。明治19年日本の美術織物の紹介と外国美術織物の研究をかねて品川彌三郎と共にヨーロッパに渡り、フランスでゴブラン織を研究、翌年に帰国した後その特徴を綴織に採用して綴織の大作を次々と製作した。明治38年には代表作のひとつ「百花百鳥」を製作、ベルギーのリエージュ万国博覧会に出品した。明治42年両面綴錦を発明し、「百菊屏風」を日英博覧会に出品するなど数多くの作品を残した。海外の博物館の所蔵品も多い。
写真提供/川島織物

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