伝統工芸〜モダニズムの極致
 

■ 烏丸光広(からすまるみつひろ)と東行記(とうこうき)

勢いにあふれた性急なタッチ、太い線と細い線が入り交じった筆線は豪快な印象すら与える。烏丸光広は江戸時代初期の公家で、筆跡の真偽を判定したり、写本の保管をしたりする古筆鑑定家のような仕事をしていたという。そのせいか、彼の書風は定まらず、ときには定家様(藤原定家)であったり、ときには伝統的な書風であったりと千変万化だった。同時代の本阿弥光悦や松花堂昭乗らと比べても遜色ない実力を持ちながら、寛永の三筆からはずされたのは、光広のマルチな才能が邪魔をしたからだといわれる。彼はその後、後陽成天皇の逆鱗に触れて流罪されたが、その才を惜しんだ徳川家康によって助けられた。