伝統工芸〜モダニズムの極致
 

■ 本阿弥光悦(ほんあみこうえつ)と鶴図下絵和歌巻(つるずしたえわかまき)

本阿弥光悦は、京都で代々刀剣の鑑定・研磨を営む富裕な町衆の家に生まれ、書画や漆工、建築など多様な分野で特異な才能を発揮した。特にその書は、優雅な筆致に唐様の肥痩の激しい書風を加えた流麗なもので、光悦流と呼ばれ珍重されている。「鶴図下絵和歌巻」は、装飾絵師の俵屋宗達が描いた金銀泥絵に光悦が書をしたためており、数多い彼らの合作の中でも最高傑作といわれるものの一つである。光悦は、料紙装飾との融合によって平安時代以来の伝統技法を再興させようとした。光悦はその後、徳川家康から与えられた洛北鷹ケ峰に移り住み、現在の京都ブランドの礎となる芸術作品を生みだしていくのである。