伝統工芸〜モダニズムの極致
 

■ 橘逸勢(たちばなのはやなり)と伊都内親王願文(いとないしんのうがんもん)


平安初期の能書家。嵯峨天皇、空海と並んで平安の三筆と呼ばれる。遣唐使に随行して、空海とともに唐に留学。その碩学ぶりは、唐の人をして橘秀才(きつしゅうさい)と称賛されるほどであったという。逸勢の真蹟と確証されるものは数少ないが、この「伊都内親王願文」は美しく伸びやかな筆致がさえ渡る逸勢の遺墨。自由奔放でけれん味のない筆づかいが魅力だ。桓武天皇の第七皇女で阿保親王(あぼしんのう)の妃だった伊都内親王に宛てた願文で、奈良・興福寺へ荘園や畑などの一部を寄付する旨が記されている。その後、逸勢は、この阿保親王に讒訴されて伊豆に配流、その途中病死した。