千本通

平安時代には朱雀大路と呼ばれ、羅城門から大内裏へと続く幅85mものメインストリートだった。南北朝の動乱以降、御所がほぼ現在位 置にあたる左京へ移ったため、それにともなって朱雀大路も衰退した。葬送地の一つ、蓮台野へと向かう道であり、通 りに沿って千本の卒塔婆(そとうば)が立ち並んでいたことから、いつしか「千本通 」と呼ばれるようになったという。千本鞍馬口近くには、いまも閻魔大王を本尊とする千本閻魔堂(引接寺)が残され、当時のおどろおどろしい雰囲気をそのままに伝えている。