御池通

平安時代の三条坊門小路にあたる。「御池」の名称は、大内裏の南側に13万uの広さを誇った神泉苑の放生池にちなんだもの。神泉苑は歴代天皇が狩猟や観花などを楽しむ禁苑で、三条坊門小路のすぐそばにあった。雨をつかさどる善女龍王を祀り、古来しばしば雨乞い修法が行われたという。京都の人たちは神泉苑を「ひぜんさん」、放生池を「御池(おいけ、みいけ)」と呼び親しんでいたが、徳川家康の二条城築城によって北側が大きく削り取られた。現在は、放生池に架かる丹塗りの太鼓橋がわずかに当時をしのばせるのみである。