二条通

平安時代は二条大路と呼ばれる道幅が50m余りの大通りだったが、京都を燼灰に帰した応仁・文明の乱で荒廃。二条大路周辺は人家もまばらで、あたかも上京と下京を区別 する境界線のような役割を果たしていたという。慶長8(1603)年に徳川家康が二条城を築くと、多くの武士や商人が行き交う大手筋としての賑わいを取り戻し、次第に町家や寺院などが建ち並ぶようになった。明治28(1895)年、岡崎で開かれた「第4回内国博覧会」に合わせて、二条寺町〜岡崎間を結ぶ電気鉄道が開通 。王城遷都で意気消沈する京都市民にとって、二条通はまさに未来への希望をつむぐ道だったのだ。