正面通

豊臣秀吉を祀る豊国神社から、まっすぐ西へと伸びる道。平安時代の七条坊門小路とほぼ同じ位 置に相当する。豊臣家滅亡のきっかけとなった「国家安康・君臣豊楽」の梵鐘で知られる方広寺大仏殿が正面 にあったので、江戸時代になっていつしか「正面通」と呼ばれるようになった。寛永10(1798)年、大仏殿は落雷のために焼亡するが、その後、京都に新しいわらべ歌が流行したという。「かごめかごめ駕籠の中の鳥はいついつ出会う…うしろの正面 だあれ」。それは、幻のごとく消え去った豊臣時代を哀れむ、京都の人たちのささやかな追悼歌であったのかもしれない。