伝統工芸〜モダニズムの極致
 

■ 京小紋

奈良時代の僧・行基が、東山・清水坂あたりで土器を作ったことに始まるという。室町時代末期には、茶の湯の流行によって清水、音羽、泉涌寺の地で盛んに製陶が行われるようになった。京焼・清水焼の名が有名になるのは、江戸時代になってから。仁和寺門前に窯を興した野々村仁清は、蒔絵の鮮やかな色彩と多様なデザインを取り入れた「色絵もの」を生みだし、中国や朝鮮の優品を手本としたこれまでの「写しもの」と一線を画して人気を得た。また、奥田頴川(おくだえいせん)は清水焼で初めて磁器を焼成。その後も青木木米(あおきもくべい)や仁阿弥道八(にんあみどうはち)ら名工が輩出して隆盛を見た。江戸時代初期から中期にかけて作陶されたものは「古清水」と呼ばれ、現在に至るまで高い評価を得ている。