和気清麻呂(わけのきよまろ)733〜799

平安時代初期の律令官人。備前国藤野郡(現在の和気町)生まれ。「日本後記」によると、先祖は第11代垂仁天皇の皇子鐸石別名。恵美押勝の乱平定に功をたてたが、道鏡の陰謀を阻止したため、鹿児島の大隈に貶竄された。のちに罪を赦され、光仁、桓武天皇の信任を得て、平安京遷都を推進。数多くの土木工事や河川改修を行って、現在の京都の礎を築いた。故郷の美作・備前国造としても、郡民の負担軽減をはかるなど民政の安定と発展に力を発揮した。
清麻呂をまつる護王神社