北垣国道(きたがきくにみち)1836〜1915

明治時代の官僚、政治家。兵庫県養父町能座村出身。29歳のときに、尊皇攘夷を唱えて生野義挙に参加したが失敗し、因幡に逃れて鳥取藩に仕官した。戊辰戦争での功績が認められて新政府に入り、元老院少書記官、高知県知事などを経て、第3代京都府知事に就任。田辺朔郎を起用して琵琶湖疎水を完成させ、近代京都の経済・産業発展に大きく貢献した。その後も北海道庁長官、枢密院顧問官を歴任するなど、明治の政官界で長く活躍した。