桂昌院(けいしょういん)1629〜1705

京都堀川の八百屋仁右衛門の次女として生まれる。幼名はお玉。母が、徳川家とゆかりの深い二条関白の家司・本庄氏の後妻となったことから、侍女として江戸の大奥に入る。18歳で徳川3代将軍家光の側室となり、のちの5代将軍綱吉を出産。女性最高位の従一位を授かり、幕府内に隠然たる勢力を振るった。悪名高い「生類憐れみ令」の制定を綱吉に働きかけたとされるが、善峯寺や乙訓寺など貴重な古都資産の再興を図り、神仏への信仰が厚かった。
桂昌院が再興し、深く帰依した善峯寺