板倉勝重(いたくらかつしげ)1545〜1624

従四位下伊賀守。甚平、四郎右衛門。家康の関東入封後、武蔵の国に所領千石を与えられ、関東代官、小田原地奉行、江戸町奉行を歴任。関ヶ原合戦以後は、京都所司代に任官され、朝廷との交渉、豊臣氏や西国大名の監視・支配強化に努め、徳川政権の確立に手腕を発揮した。京都経済の発展や文化保護にも力を注ぎ、四条河原での歌舞伎踊りの官許(南座の発祥)やキリシタンに対する人道的な処置など、その施政は「板倉政要」などによって後世まで語り継がれている。
勝重の墓がある光悦寺